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チューリップの野生種 |
チューリップ原生地は、中央アジア・東アジアから地中海沿岸で、今でも150種類くらいの野生種がある。 |
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形状が小型で花数も多いなど、現在主流の園芸品種とは少し異なっている。 |
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チューリップの品種改良はトルコが最初 |
トルコが初めて野生種のチューリップの品種改良を行ったの12世紀頃のことで、花を大きくするなど現在主流の華やかな形に近づけたのはその頃からであるといわれている。 |
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オスマントルコの最盛期である16世紀にはチューリップの品種改良が大流行していた。 |
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欧州でチューリップが大ブームになる |
16世紀になると、欧州で異常なほどのチューリップ・ブームを引き起こる。
その発端はフランスの植物研究家クルシウスが、チューリップの品種改良を広めたことによる |
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フランスの植物研究家クルシウスは、オランダのライデン大学で植物学教授となり、手に入れたチューリップの品種改良を行う。 |
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オランダは今でもチューリップ産業がさかんで、世界一の生産量を誇っている。 |
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16世紀にトルコ駐在オーストリア大使ブスベックが、チューリップの名づけ親であり、ウィーンにもたらしたという話が有名であるが、それ以前からチューリップは欧州に渡っていた。 |
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チューリップ狂時代 |
歴史の教科書にも登場する有名な大事件「チューリップ狂時代」(17世紀)というものがある。
これはオランダで珍しい品種の球根が投機の対象となり、高額な取引がされるほどの熱狂した一時期のこと。
欧州経済が混乱するほどの影響を及ぼす社会問題となり、オランダ政府が法令で投機売買を禁止するようになる。 |
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フランスの小説家アレクサンドル・デュマの「黒いチューリップ」という有名な小説は、この時代のチューリップ狂乱による受難の物語でもある。 |
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チューリップが日本に渡来したのは19世紀 |
日本に渡来したのは19世紀のことで、外国人や上流階級の人が趣味で栽培するようになるが、日本の気候がチューリップ栽培には向いていなかった為に、あまり広まる事はなかった。 |
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特に太平洋側の気候がチューリップ栽培には不向きとされる。 |
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チューリップ栽培は、「冬季」は湿潤で「春から夏季」は乾燥する気候が向いている。 |
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しかし20世紀になると、日本海側の気候には順応することがわかり、本格的な栽培が始まる。 |
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それ以来、富山と新潟のチューリップ栽培がさかんに行われいる。 |
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日本はチューリップ球根の生産高『世界2位』 |
チューリップ球根生産高の『世界1位』はオランダであるが、日本も『世界2位』となり、そのほとんどが富山と新潟で生産されている。 |
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